詠みがたきものあるゆえに歌を詠むささら揺れくる麦の穂波は
原子炉を汚染水にて冷やす構図映像なればたやすく流る
母の背に応召の父を見送りし遥かなる日の辻明の辻
村を去る者を見送り立ちつくす火の見櫓は父の後姿(うしろで)
空海の『風信帖』の「風」の字を指になぞりて遠く旅する
灯の下に見ゆるものだけ見る今宵わが翳ひとつそこに在るなり
『辻明』から立ち上がってくる作者像は、たくましい行動力と経験の智慧をあわせ持った朗らかで知的な女性の姿である。
七十代を迎えた今も悩める若者の電話相談に心を傾け、反動化する時代に怒り、畑仕事に勤しみ、時おり襲う死と孤独の影を見つめ、気まぐれな伴侶のような猫を愛し、ふと海外の旅に出る。そういう日々が微妙な心の陰影とともに自在に歌われた一巻である。
島田修三
A五版上製カバー装 2600円•税別