【今月のスポット】
▼山下翔歌集『温泉』
(現代短歌社 2500円*税別)
今期待する若手はと問われて、そうした期待から遠かった自らの二十代を振り返ると甚だ気恥ずかしいのだが、この作者には確かな手応えを感じる。
・店灯りのやうに色づく枇杷の実の、ここも誰かのふるさとである
・ポケットに手なんかいれて転んだら父さんも母さんもゐなくて
「誰かの」という非特定性にも父や母の不在感覚にも、どこか淡い孤独が一枚貼り付いている。
・換気扇 がたんと回り始めたり 母が煙草を吸つてゐたころ
・アルミ箔でくるんだだけの弁当を磯にひらいてまぶしさを食む
ある懐かしい生活感情が立ち上がる。それは私たちの記憶の中にも確かにあった光景なのだ。ありふれた昔の日常だけれど、その向こうにはそれぞれの時代の空気が息づいている。
・キキのゐない夏と知りたりああやつと馴れたのに吠えるのも舐めるのも
・夕暮れの感じに足を突つ込んでゐるやうな陽のくらさが秋で
・ゆふべ身を寄せて帰りし雨の道けさおのづからはなれて歩む
恋人の実家に泊ったときの二人の距離感の微妙を巧みに表現している。青春の歳月とは侵犯してはならないものの大切さを自覚することなのかも知れない。歌集名となった「温泉」は恋人の住む雲仙の温泉だろう。
山下翔は青春期の心の微細を詠むのが巧みな作者だ。その読後感は島田幸典が栞文に記す「上質の私小説を読んだような感触」に尽きると私も思う。ただ、ここには青年に特有な社会への不信や反抗や抵抗の痕跡がない。それらは注意深く消去されたままである。
・霧雨のなかへ傘差すうつしよはぬくいよ金がこんなにぬくい
消費者金融の借入限度額を増やしては借りる日々の繰り返しにも生活感はうすい。おそらく借りた金は今という儚さを生きぬくためだけに必要なのだ。
・スケートボード足に吸はせて跳ね上がる六月はじめの空あかるくて
あとがきには「けさ、初蟬をききました。今年も夏です。」と一行だけある。不思議な一冊だ。(り)