【今月のスポット】
▼辻聡之歌集『あしたの孵化』
(短歌研究社 2000円税別)
「かりん」に所属する著者の第一歌集。生きづらさとは誠実さを裏切れない謂であると改めて感じさせられた一冊だ。
・溶け出していないか確かめるために布団の中で反らすつまさき
ふと不安になるのだ。私の身体が布団のなかで足先から溶けだしていはしないかと。意思の力では制御できない身体の変容の兆しは〝生きる〟ことが不安や懐疑と不可分であることと無縁ではない。
・うまく生きるとは何だろう突風に揉まるる蝶の翅の確かさ
・借り物かもしれぬ体を温めるための湯船に膝を曲げおり
突風に揉まれながらも従順と抵抗のバランスの中から自らの軌道を確保しようとする蝶の翅には、小さいなりに生きぬくための健気な意思がある。思えば、人間とは厄介な生きものだ。うまく生きようとする知恵は、不器用にもこの蝶の翅に遠く及ばない。
そう、私の身体は精神とは別に社会とうまく適合するように造形された外皮である。身体は神の与えた魂の器ではなく、社会の秩序に順応する規格品として統御され流通する仮の衣装なのだ。私は、その〝借り物〟を温めるために今夜もバスタブに熱い湯をはる。
・血を分けたる姪のその名に菜の花の菜の一文字がありて春来よ
・悪意から遠き足裏ちいさくてふれれば魚のように逃げゆく
小さな足裏を魚のようにそよがせて眠っていた時期が私たちにもあった。それは悪意をしらぬ遠い遠い過去の記憶である。あのとき私たちにも来たるべき春は期待されていたにちがいない。
・梅の枝をメジロきらきら飛びうつる みなひとりぶんの重さに撓む
・夜明けまで雨の予感の立ちこめてわたしはださいTシャツで寝る
この「ひとりぶんの重さ」すら支え切れなくなったのはいつからだろう。生きるとはどこかで自らのだささを引き受けることである。「ださいTシャツ」は〝借り物〟である身体に私らしさを取りもどすための、もう一枚の大切なヴェールなのではなかったか。 (た)